「Snow Queen 2」
「ゆんゆーん!」
ギュッと背後から抱きしめられて、慌てる豊に姫宮伊織がキャアと黄色い声をあげる。
「かーわいい!ゆんゆんったらドキドキしちゃってえ!」
「ゆんゆんは女の子苦手かい?」
「そ、そういうことじゃないけど」
サングラスの向こう側で京羅樹崇志の目も面白そうに笑っていた。
「今度俺が見立ててやるからさ、お前も一緒について来いよ」
「ど、どこに?」
「そりゃーお前」
「ラギーが行くって言ったらナンパに決まってるじゃない!」
ええっとのけぞる豊を見て、伊織は益々楽しげにはしゃいだ。
「ゆんゆんったら、それじゃあ私が特別にイイコト教えてあげよっか・・・?」
「間に合ってます!大丈夫です!」
「へえ、ゆんゆんは間に合ってんのか」
「や、だ、だから、それは」
二人に散々からかわれて生きた心地がしない。
豊は、やっぱりここは苦手だと思っていた。
交歓留学生としてやってきた豊はSG科2年B組に編入させられた。
初日に案内してくれた飛河と同じクラスだ。
寮の部屋も隣で、なにやら因縁めいたものを感じる。
担任の教員が簡単に紹介してくれたが、同クラスの生徒たちは豊に何の反応も示さなかった。
しんと静まり返った校内。
無駄話をするものも少なく、誰もが一分一秒を惜しむようにせわしなく動き回っている。
ここは、天照館とあまりに違いすぎる。
レベルの低いクラスの人間を、上位クラスの人間たちが集団で嘲っている姿も見かけた。
泣きながら追いすがる生徒を無慈悲に突き飛ばして歩き去る教員。
上辺だけの笑顔で腹の探り合いをしている同級生たち。
縦のつながりも、横のつながりもない。ただむき出しの競争心があるだけ。
冷たい、戦場のような学園だった。
豊は正式にペンタファングに参入する前にLT値とかいうものを測定された。
その後でいくつか質問を受けて、簡単な心理検査と身体検査を受ける。
検査の結果は一切教えてもらえなかった。
同組織に在籍する他四名に紹介されて、担当者の呉梨華に大まかな概要を説明された。
「まあ、あなたが天照館でやっていたこととそんなに変わりないはずよ、こちらでも任務に励んでね」
はい、と答えつつ、なんだか自分が大きな機械の部品の一つになったような気がする。
選択肢などどこにも無い。
ただ、受け入れるだけ。
あらゆる事が明らかにされないまま、水面下で黒い影が不気味にうごめいているような、そんな印象ばかりが付きまとう。
一日が終わり、寮の部屋に戻るとようやく息が出来るようだった。
「はあ」
白一色で統一された室内の、留学生である豊の部屋にはほとんど物がない。
滞在期間が短いのだから仕方ないとはいえ、殺風景な様子はあまり心地のよいものではなかった。
取り付けられた白色蛍光灯の強すぎる光は、僅かな闇の侵入すら拒絶しているようだった。
病的なまでの清潔感が、かえってどこかの病室か研究室のように薄ら寒い風合いを醸しだしている。
「天照の皆、元気にしてるかなあ・・・」
おんぼろの教室、だだっ広い校庭、薄暗い寮の部屋、郷の周囲を取り囲む深い深い冨士の樹海。
何もかもみな懐かしい。
あの暖かな陽の当たる場所に戻りたいと思う。
大声で笑って、バカみたいに走り回って、そんな年頃の当然の権利がここでは一切許されていなかった。
豊は寝返りを打って、白いシーツに顔をうずめた。
時計の音ばかり聞いてどれくらい経っただろうか。
コンコンと、数回のノックに顔を上げる。
「はい」
扉を開くと薙が立っていた。
「召集だ、モニタルームに集合」
「任務か?」
「ああ」
ここ数日の間、豊は何度かペンタファングの討魔に参加していた。
郷と違って人の多いこの街は気が澱みやすい。そこから生じる天魔を討つのが彼らの主だった任務だった。
月詠は天魔を「祓い」はしない。
消滅するまで「屠る」、そこには畏怖も、同情も何もない。ただ目の前の障害を排除するだけ。
裏執行部で行っていた事とそれほど変わりないはずなのに、豊はペンタファングのやり方を好きになれずにいた。
「飛河は」
そのまま歩き去ろうとする薙に、豊は不意に声をかける。
薙は足を止めて振り返った。
「飛河は、どう思ってるんだ」
「どう、とは」
「任務の事・・・天魔を倒す事、どう思ってるんだ」
前から聞いてみたかった事を、意図せず問いかけていた。
薙に限らず、ペンタファングの面々は討魔をどのように捉えているのか。
殺し、屠る事だけが全てなのだろうか。それで構わないと、本心から思っているのか?
豊は彼らの本心を聞いてみたかった。
相変わらず冷たい飛河の瞳が僅かに眇められる。
「障害は排除する、任務ならば実行し、完遂するだけだ」
「それだけなのか?」
「・・・他に何があると言うんだ」
きりかえされて思わず顔を俯ける。
多分、薙の言うことも間違いでないのだろう。
天魔を倒す事は与えられた使命だし、否定する権利は無いのだと以前九条総代にも言われた。
鎮守人が戦うことは国から求められる「義務」なのだと。
(けれど・・・)
でも、それは決して相対する全てを滅ぼせと言うことではないはずだ。
見的必殺、それは殺し屋の仕事、戦争人の仕事。そんなもので救われるものなど何もない。
言われた事を実行するだけなら、人である必要すらなくなってしまう。
そう思った途端、豊かははっと顔を上げていた。
「・・・だからなのか?」
問いかける声が震える。
ペンタファングの面々の残酷さ、冷徹さ。
「だから、飛河たちは、そうなのか・・・?」
部品や玩具に貶められた「人」は、人のままであるのだろうか?
薙は醒めた目で豊をじっと見ていた。
心の奥を見透かすような、冷たい、感情の感じられない瞳。
思うところの少しも見えなくて、戸惑っていると薙の唇が動いた。
「僕は」
突然腕が伸びる。
驚くまもなく指先が豊の頬に触れる。
「無駄話は嫌いだ」
「飛河・・・?」
飛河の指は冷たかった。
触れられた部分が熱を帯びて、鼓動がだんだん早まってくる。
「あ、あの」
指先はまた唐突に離された。飛河はくるりと背を向けて、言い捨てる。
「先に行く、遅れるな」
そしてそのまま走り出す。
一連の動作の間、豊は身動きが取れなかった。
言い表せない感情が、胸の奥深くで渦を巻いている。
触れた先は冷たかったのに、触れられた部分は熱を帯びて、今こんなにもあつい。
「飛河・・・」
月の裏側を誰も知らない。
氷に閉ざされた扉の向こう側を誰も知らない。
彼の思いの奥を・・・俺は知らない。
豊はのろのろと歩き出していた。
混乱している場合じゃない、ペンタファングの任務が待っている。
(そうだ、今は余計な事を考えている場合じゃない・・・)
首を大きく振って気持ちを切り替えると、豊の足はようやく駆け出していた。
薄暗い廊下は相変わらず無機質で冷ややかであったけれど、そこに響く自分の足音はなんだかいつもと違う気がする。前を行く飛河の足音も違うように思えた。
闇の奥、非常灯の明かりが、やけに網膜に焼きつくようだった。